尾崎豊さんの腕時計とブレスレット

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芸能人の腕時計

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昭和を代表するスーパースター、尾崎豊さんの愛用した腕時計とブレスレットを紹介していきます。10代にして「15の夜」や「十七歳の地図」などの名曲で、夢や愛、生きる意味をストレートに表現し、駆け抜けた尾崎豊が愛した腕時計とは。

26歳で逝ったスパースター


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尾崎豊さんは1965年11月29日、東京都世田谷区の生まれです。

高校在学中には喫煙やオートバイでの事故、飲酒などで停学を受けるなど楽曲にあるような青春時代を過ごしていたようです。時代ですね。

デビュー・アルバムは現在でも高い人気を誇る『十七歳の地図』ですが、当時は事務所やレコード会社も積極的なプロモーションも行わなかったためにセールスは伸び悩んだそうです。

その後口コミにより人気が出て、4thシングル「卒業」の中の過激な歌詞が話題となりました。「夜の校舎窓ガラス壊してまわった」ってやつですね。2ndアルバム『回帰線』は大手音楽チャート1位となりこのころから尾崎豊さんの名は全国に広まっていったようです。

その後は活動停止から逮捕、復活と波のある時期を過ごしましたが、26歳の4月25日(土)早朝、当時の自宅であるマンションからほど近い民家で傷だらけで裸で倒れているところを、住民の方に発見されます。

病院に運び込まれ、医師から「専門医に診てもらった方がいい」と診断されましたが、帰宅。その後容体が急変して帰らぬ人となりました。

10代で「社会への反抗・疑問」や「自由」をテーマにした歌を多く歌い、20代では「真実の愛」「贖罪」「罪」といったものを主題にした歌を歌いました。30代、40代、50代ではどんな歌を歌っていたのでしょうか。

尾崎豊さんの腕時計


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尾崎豊さんは当時は「10代の教祖」とも言われ、カルト的な人気を誇っていました。そうなるともちろん楽曲だけでなく、ファッションにも注目されます。

ヘインズの白Tシャツ、リーバイスのジーンズ、ハイカットのコンバースなど、当時着用したアイテムは今でも根強い人気があります。

尾崎豊さんは、ブルガリの腕時計を好んで着けていたようです。ブルガリの代名詞的なコレクションであるブルガリ・ブルガリは現在でも人気の高いモデルになります。

尾崎豊さんの腕時計 ブルガリ・ブルガリ


ブルガリブルガリの商品ページへ

1977年に初めて登場したブルガリ・ブルガリはブルガリウォッチの初めてのヒット商品です。幅広のベゼルに大胆にブランドロゴをあしらったデザインは、古代ローマ時代のコインで、その周囲に都市名が取り囲んでいる様子から、インスピレーションを得ています。

時計界には数十年前の販売当時からデザインコードがほとんど変わらない、初めから完成されたモデルが多数存在しますが、ブルガリ・ブルガリもその一つです。

いいものはいい。多感な尾崎豊さんが愛したのも納得がいきます。ブルガリ・ブルガリという腕時計はアーティストや俳優にも愛用者が多くいます。

尾崎豊さんの写真を見ていると、よく着けていたのがゴールドケースで黒文字盤のブルガリ・ブルガリです。腕時計のサイズは33mmくらいだと思います。

現在では33mmといえばレディースモデルのサイズ感なんですが、昔は男性も小さいサイズのものを着けている人が多かったようです。

尾崎豊さんのブレスレット


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尾崎豊さんは腕時計にブレスレットを合わせることが多かったようです。

このブレスレットもブルガリのものだとか。

10代の頃は何もつけていない写真の方が多いですね。現在では、息子である尾崎裕哉さんがゲン担ぎでライブの際に着けているそうです。

尾崎豊さんのブレスレット


ブルガリブレスレットの商品ページへ

拡大してみたところ、ゴールドのチェーン形状のブレスレットのようです。ブルガリはこういったブレスレットは無数に出していると思うので、どのモデルかはちょっと特定は難しそうです。

尾崎豊さんの腕時計とブレスレットまとめ


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尾崎豊さんの腕時計とブレスレットを紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。もっと長生きされていたら、きっともっとたくさんの名曲を世に送り出していたに違いありません。

大物アーティストとしていろんな腕時計をされていたと思います。

私もとうに青春時代は過ぎ去ってしまいましたが、尾崎豊さんの楽曲を聞くと、昔の不安だった気持ちや怒り、ワクワクしたこと、汗まみれになりながらも熱狂したことを思い出し、未だに胸が熱くなります。

これほどまでに男子の胸を熱くしたアーティストが他にいるでしょうか?SNSで自己表現はしやすい世の中になってきてはいますが、本当の自身の想いをここまでストレートに表現できるアーティストは今後も出てこないと思います。

尾崎豊さんが遺してくれた楽曲に救われた人は多いと思いますし、私もその一人です。

それでは、「心をいつでも輝かせてなくちゃならないってこと!!」でお別れです。